そもそも「才能」というものの定義をしなければならない。
私は「努力」をし続けられるのも才能だと思っている。
向上心、向学心を持ち続けるというのは、骨が折れる作業だ。
「継続もまた力なり」というように才能だと思う。
目差すもの、好きなものがあって、努力を続けられるのは、素晴しいことだと思う。
それゆえに苦しみ、悩み、それでも投げ捨てないのは「勇気」だと思う。
私は他人に誇れるような才能が欲しいと願う。
腹の底から、渇望している。
ところが神さまというのは相も変わらず不公平で、私に素晴しい才能をくださらなかった。
おそらく平凡な、ある意味、とても幸福な人生を歩めるように慮ってくださってのことだろう。
その素敵な配慮に、私は今日も頭を抱えることになる。
私は恵まれた人生を歩んでいると思う。
地球の裏側に住んでいる人たちに比べて、60年前に青春時代に向かえた人に比べて、格段に恵まれている。
それは動かせない事実で、私にはどうすることもできない。
だからと言って、幸せではない。
幸福にはなりきれないのだ。
そう「才能」がないからだ。
誰もが素晴しいと、私自身が自慢できるような才能が欲しい。
この不毛な努力こそが私の才能だとするなら、憐れを通り越して滑稽ですらある。