soraの日記

統合失調症を抱える患者の備忘録

執着が薄い

 死にたいと思うことすら、面倒だと感じる。
 その執着の薄さが怖い。


 死にたい。って「〜たい」だから、願い。やりたいこと。
 方向性の是非は置いておくとして、そこには純然たる「意思」がある。「意志」でもいい。
 むしろ「意志」だろう。

自殺は良くない

 話は逸れるが、「自殺は良くない」と止められる。
 止めたところで意味はない。けど。
 そもそも「死にたい」わけじゃないから。


 「どうして自殺が悪いか*1」と訊くと、「残された人が辛いから」って言われる。
 「生きていれば、そのうち良いことがあるよ。幸せになるよ」と付け足される。
 あとは「『逃げ』だよ」とも言われる。


 残される人(他人)が辛いから、私は我慢して生きろ


 ってことらしいです。
 自分勝手な意見です。
 自殺が自分勝手だと責める人の意見が、恐ろしく自分勝手です。


 「自殺をやめたとしたら、幸せにしてくれるの?
  苦しい現実をどうにかしてくれるの?」
 って訊くと、無理だと言われる。

執着心の薄さ

 他人が当然のように持っている物でも、自分は持っていない。それを羨んではいけない。
 欲しいものは手に入らない。
 大切にしているものでも、いつかは壊される。
 我が儘を言って、他人を困らせてはいけない。


 諸行無常といいますが、そんなものを小学生ぐらいで体感してしまうと、感性が麻痺するというか。
 欲求が薄くなりすぎるというか。
 人間らしいアクの強さと縁遠くなってしまうものです。
 意志どころか、意思すら薄いです。


 何かをしようとは思わない。
 何かを手に入れようとは思わない。
 それは自分の思い通りにならないから。
 誰かによって、奪われる。
 誰かによって、失われる。
 大切であれば大切であるほど、喪失に耐えられなくなる。
 なら、初めから、思い入れなど持たなければいい。
 苦しい思いが減る。
 この世界にあるものは、すべてのもので。
 私のものではない。
 個人で所有するものではなく、誰のものでもある。


 執着の薄さは「生きる」という意欲を低下させます。
 「向上心」を生み出さないためです。
 「したい」ことがない。

感受性が豊かは褒め言葉ではない。

 コントロールできない感情は暴走する。
 常に揺らされる。
 他人の行動に、言葉に。
 自分が見えなくなるほどに揺らされ続ける。
 己と他者との垣根が低すぎるから、疲弊する。


「そんな小さなことを気にしてどうする」
 (私にとっては大きなことなんです)


「自分というものを持ちなさい」
 (そんな便利なものがあるのなら、持ちたいものです)


「自信を持ちなさい」
 (どうすれば自信はつくのでしょう)


 神様がくれたギフトは重過ぎる。
 できるだけ、感じないように。
 他人の感情を取り込まないように。
 一定の距離を置いて。


 そして、ますます独りになる。

人間

 人は人の間に生きているから人間だという。
 世間から離れて、群れから離れて、生きているのはヒトなのだという。
 関係性を持つことによって、人間は「己」を認識するのだという。






 私の考えを、ガラスの小瓶につめて、電子の海へ流しておく。
 人間でいるために。
 まだ、死なないために。

*1:良くない。と言われるんだから、悪いことなんだろう。という単純な発想