言葉が乱れている。
そう嘆かれてはや数十年。
言葉の乱れは、ますます拍車がかかっているようです。
ぶっちゃけ、soraにはどうでも良いことですが。
言葉が簡略されて行くのは仕方がないこと。
いや、むしろ当然のこと。
人の言葉は絶えず変化しています。
日本語はその変容が激しいです。
英語の場合、シェイクスピアの時代のものを現代のイギリスの高校生が読めます。
日本語は江戸時代のものは読めませんね。明治・大正も怪しいし。
大学の国文科で、専攻「古典」しかも散文。やっていたsoraでも
偉大なる大先輩「夏目漱石」は読みづらいし。
国語研究者ならちょー大先輩の「紀貫之」なんて、原文は読めませんよ。
影印本もちろっとしか読めませんし。
国文科でもそうなのだから、フツーの中高生には読めません。
サボる。
ニュースでも使われる単語ですが、これ、正確には「サボタージュをする」です。
大人の言葉もすでに乱れています。
言葉の簡略化と共に激しいのがアクセントと速さ。
アクセントはだんだん平坦になる傾向があります。
もしくは語尾だけ上げる。
一語あたりのスピードは年々上がってますね。
わかり辛い人は10年前のヒットチャートを歌ってください。
テンポが違うことがわかりますから。
狂言や能は室町時代の言葉「そのまま」らしいです。
当時の人たちは、あんなにゆっくりしゃっべっていたんですよ。
信じられませんね。
sora自身の最近の(・o・)。
ら抜き言葉に、い抜き言葉。
そして方言。「の」が「ん」に変わる。
これは一昔前から指摘され続けてきましたが、さらに「助詞の欠落」
「てにをは」が会話からスコンと抜けるんです。
丁寧に話してるつもりでも
○今日、渋谷に行って来たんですが、人がたくさんいました。
とやってしまうんですよ。
正解は、
○今日は渋谷に行ってきたのですが、人がたくさんいました。
です。
助詞が「、」句読点でごまかされてしまうんですよね。
このまま簡略されて行くと、言葉は暗号になってしまいますね。
soraはそろそろ日本語の見直しの時期だと思います。
話す言葉と書く言葉のギャップが大きくなってるし。
有名な四つ仮名「じぢずづ」や「うお」。
発音通りではない文字が多すぎる気がします。
「文化」もありますが、変容を受け入れてこその「文化」ですから