診断書が書けないと言われた。
それでもいいかもと思った。
お医者さんが書けないというなら、書けないんだろうし。
医師として書けないなら、そうなんだろうと思った。
診断書は公的なものだから、嘘偽りなく書かなければならないのだろうから。
それはそれで仕方がないことだと思った。
でも、結局、書いてくれた。
どうしてだろう。
叱咤だったのだろうか。
書けないということで私にやる気を出させようとする、カウンセリングだったのだろうか。
私には医師の気持ちがわからないので、推測にしかすぎない。
医師は私は病気ではない、という。
睡眠薬がなければ眠れない。
精神安定剤がなければ他人と話せない。
一日に4回飲んでいる、この薬はなんなんだろうか。
気休めなのだろうか。
定期的に病院に通って、薬を飲んでいる。
これは病気ではないという。
病気ではなく、私自身の問題だというのなら、医療行為を打ち切ってほしいと思うのだけれど。
ただ薬を飲まなくなったら、私は……他人と、つまり社会の中で生きていけるのだろうか。
やってみたことがないので良くわからない。
できるのかもしれないし、失敗して傷ついて立ち直れないかもしれない。
他人の気持ちがわからない。
自分の気持ちもわからない。
書いているうちに、自分の気持ちぐらいわかるようになるかもしれないと思ったけれど。
やっぱり、自分の気持ちがぐらぐらと揺れているので、わからない。
わからないことだらけだ。
私自身の問題は、知っている。
愛情を必要としていたとき、愛情を受け止め損ねてしまったからだ。
以来、他人の顔色をうかがって暮らしている。
さまざまな理由があったにせよ。
私は望まれない子であり、祝福されて生まれてきたわけではない。
私は“仕方なく”産まれてきた子どもだったのだ。
そのため失敗は許されなかった。
けれども頑張ってもできないことが多かった。
運動神経はよくなかった。
勉強でも苦手教科があった。
芸術の面でも平均点をクリアするのがやっとだった。
両親の望みどおりに生きることもできず、立派な人間にはなれなかった。
そう、私の心は歪んでおり、常に依存対象を求めている。
私が自信を持てないのは、私が褒められた記憶が少ないからだ。
それよりも怒られた記憶、失敗を罵られた記憶のほうが多い。
普通の人ができて当たり前のことを、私はできなかった。
努力してもできなかった。
いや努力が足りなかったのだろう。
だから、怒られる回数が比例していく。
私の人生、どうやって生きていきたいのか。
理想も目標もない。
できることなら、早く死にたい。
これ以上、他人に不快な思いを抱かされたり、迷惑をかけて生きていくのは、とても嫌だ。
私がいるということで、不快さを感じている人間が“いる”のだから。
ただ、自殺はよくないと、縛られているので、自分を殺すことはできない。
どうすればいいのだろうか。
わからない。
考えようとすると、思考が拡散してしまう。